仙台オンラインカウンセリング アユミのブログ

仙台 オンラインカウンセリング アユミ の日々様々

家族関係の始まり

家族との生活が始まってからは、独身だった頃のようにはいきませんでした。

なぜなら、家族間であらゆることで問題が生じて、衝突したり、依存し合っていたからです。

 

今は、子ども二人は上京し一人暮らしをして、私も自分のやりたいことをして自由に暮らしています。

 

当時、夫は、うつ病になり体が辛いはずなのに体が動かなくなるまで働き続けました。

なので、うつ病の回復には13年もの長い時間がかかりました。

 

子どもは親の姿を見て育ちますので強く影響を受けました。

娘は、進学した学校で、朝の友達との待ち合わせの約束をすることができませんでした。

元気がなくなり、友達とのメールのやり取りや会話をすることができなくなったからです。

 

最近になって、

「お母さん、あの頃は体がだるくて学校の椅子から立ち上がることもできなかったんだよ」

と言ってくれました。

その時娘は、

「今、学校に行かなくなれば将来、大学に行けなくなって就職もできなくなるよ」

と、言っていたのです。

だから、新しい友達をつくることもできなくて辛いのに無理をして学校に行っていました。

 

私は、

「夫が病気なのだから好きなことは諦めよう‥」

「私が支えていかなければいけない‥」

「明るくしなければ‥」

「我慢をしなければ‥」

と思っていました。

今になって、この「~しなければならない」という考え方が、子どもにも、その影響を受け継がせていたと分かりました。

私まで夫の気分に合わせなくてもよかったのです。

 

ですが、この時は自分の感情の癖に気づかず、子どもにも辛い思いをさせました。

食事の時は、みな俯いていて会話がなくとても暗かったです。

 

この10年間試練の連続でした。

 

もう、家族が抜け出せない負のスパイラルにはまったようでした。

私は、外に一人で出かけることもできなくなり毎日が、

「苦しい‥」

「どこかに行ってしまいたい‥」

としか思っていませんでした。

 

それから、2年が経ったある日、夫は自分が、

「こんな人生を歩んでいるのは幼少期の環境に問題があってアダルトチルドレンになったからじゃないか!」

と、義父、義母の前で訴えかけてきたのです。

もちろん、夫は一生懸命に治そうと努力をしてきました。

カウンセリングもしましたし、運動もしました。

電気治療というものにも通いました。

しかし、何をしても

「自信はつきません、落ち込みは続きます‥」

「劣等感は無くなりません‥」

「家族への依存も続きます‥」

なので、治らない原因は他にあるのではないかと思うようになりました。

それから夫は、私や子どもに暴言を吐くようになり私たちはびくびくして怯えて暮らすようになったのです。

 

憂うつでしかありませんでした。

 

その時息子は、ストレスから片言の言葉しか話すことができなくなっていました。

それは、学校にも行けなくなり家も安心できる場所ではなくなったからです。

他の人が学校に行っている時間は罪悪感からか昼夜逆転の生活が続き、夜に一人で泣いているときもありました。

本当は学校生活を送らせてあげたかったです。でも叶わなくて悲しかったですし、辛かったと思います。

 

私は、もう生きづらさの限界で涙が止まらなくなりました。

このままでは家族が共倒れになってしまう‥

だから、家族のためにお互いに距離を取ることにしました。

それから、半年が過ぎた頃になると夫は毎日仕事に行けるようになったのです。