家族問題
境界性パーソナリティー障害という病気を耳にしたことはありませんか?
気分の波が激しく感情が極めて不安定
良い、悪い、敵、味方など両極端に判定する
強いイライラ感が抑えきれなくなる
などの症状があります。
誰でも様々な性格を持っていますが、中にはその一部が極端に偏ったようになり、自分のことも家族のことも苦しませてしまうようになる病気です。
私の夫は、ASDの特性を持ち、二次的障害でうつ病、パーソナリティー障害を患っています。
境界性パーソナリティー障害がどのような病気かわからない方、今病気で苦しんでいる方、そしてご家族の方にもお読みいただけるようにお話しします。
そして、その夫が10年間休職して闘病生活を乗り越えたという事実をお伝えしていきます。
メンタルケアとの出会い
それから、私たち家族に転機が訪れました。
「メンタルケアとの出会い」です。
私たちは家族の負のスパイラルから抜け出すことができたのです。
そこで、教えていただいたことは、
「家族の世代間連鎖を断ち切ればいいんですよ!」
「縁を切るということではないですよ」
「昼夜逆転は無理をして直さなくてもいいですよ、そのうち直りますから、大丈夫ですよ」
でした。
私は、ホッとして安心しました。
なぜなら、今まで周りから、
「甘やかすからいけないんだ!」
「放っておけばいいんだ!」
「お母さんがいつも一緒にいるからよくないんじゃない」
「優しすぎるから悪い」
と、厳しい批評を受けていたからです。
良くないと思いながら子どもと接していたので会話も少なくなっていました。
子どもは、自分のことを理解してもらえない気持ちでいっぱいだったと思います。
また、私にも家族の世代間連鎖が受け継がれていて、その時は、まだ気づいていませんでした。
私は、メンタルケアで学んだことを実践しました。
すると、息子は一か月もしないうちに自分から「駅前に行って来るよ~」と言って出かけるようになったのです。
それから、二ヶ月も過ぎた頃にはバイクの免許を取りたいと言ってきました。
息子は、
「自分なりに、これからのことをちゃんと考えてるんだよ」
「一か八か挑戦してみたいんだ!」
と言っていました。
「このままではいけない‥」
「免許を取ることをキッカケに新しい自分に変わろう!」
「変われるかどうか試してみたいんだ!」
と、思っていたそうです。
その時は、息子が将来のことを前向きに真剣に考えていたなんて思ってもいませんでした。
私は本当に驚きました。
あんなに、「だるい~、何もしたくない~」と言って部屋に引きこもっていたのに、
自分でバスの予約をしたり、学科や講習を受けたり、不登校になって以来初めての集団生活ができ、
息子はバイクの免許を取ることができました。
普通に学校に行っていた頃のことを思うと、「こんなこと当たり前にできるよね」と思うかもしれません。
ですが、不登校になり学校生活を送れなくなった子どもにとっては、すごい成長なのです。
お子様が、自ら取り組もうとした時は一緒にやっている感じで楽しさを共有してください。
そして、たくさん褒めてあげてください。
すると、
「そこにいるだけでいい」
「これは自分の能力、才能、自分は自分でいていい」
と本来持っている力を発揮できるようになります。
家族関係の始まり
家族との生活が始まってからは、独身だった頃のようにはいきませんでした。
なぜなら、家族間であらゆることで問題が生じて、衝突したり、依存し合っていたからです。
今は、子ども二人は上京し一人暮らしをして、私も自分のやりたいことをして自由に暮らしています。
当時、夫は、うつ病になり体が辛いはずなのに体が動かなくなるまで働き続けました。
なので、うつ病の回復には13年もの長い時間がかかりました。
子どもは親の姿を見て育ちますので強く影響を受けました。
娘は、進学した学校で、朝の友達との待ち合わせの約束をすることができませんでした。
元気がなくなり、友達とのメールのやり取りや会話をすることができなくなったからです。
最近になって、
「お母さん、あの頃は体がだるくて学校の椅子から立ち上がることもできなかったんだよ」
と言ってくれました。
その時娘は、
「今、学校に行かなくなれば将来、大学に行けなくなって就職もできなくなるよ」
と、言っていたのです。
だから、新しい友達をつくることもできなくて辛いのに無理をして学校に行っていました。
私は、
「夫が病気なのだから好きなことは諦めよう‥」
「私が支えていかなければいけない‥」
「明るくしなければ‥」
「我慢をしなければ‥」
と思っていました。
今になって、この「~しなければならない」という考え方が、子どもにも、その影響を受け継がせていたと分かりました。
私まで夫の気分に合わせなくてもよかったのです。
ですが、この時は自分の感情の癖に気づかず、子どもにも辛い思いをさせました。
食事の時は、みな俯いていて会話がなくとても暗かったです。
この10年間試練の連続でした。
もう、家族が抜け出せない負のスパイラルにはまったようでした。
私は、外に一人で出かけることもできなくなり毎日が、
「苦しい‥」
「どこかに行ってしまいたい‥」
としか思っていませんでした。
それから、2年が経ったある日、夫は自分が、
「こんな人生を歩んでいるのは幼少期の環境に問題があってアダルトチルドレンになったからじゃないか!」
と、義父、義母の前で訴えかけてきたのです。
もちろん、夫は一生懸命に治そうと努力をしてきました。
カウンセリングもしましたし、運動もしました。
電気治療というものにも通いました。
しかし、何をしても
「自信はつきません、落ち込みは続きます‥」
「劣等感は無くなりません‥」
「家族への依存も続きます‥」
なので、治らない原因は他にあるのではないかと思うようになりました。
それから夫は、私や子どもに暴言を吐くようになり私たちはびくびくして怯えて暮らすようになったのです。
憂うつでしかありませんでした。
その時息子は、ストレスから片言の言葉しか話すことができなくなっていました。
それは、学校にも行けなくなり家も安心できる場所ではなくなったからです。
他の人が学校に行っている時間は罪悪感からか昼夜逆転の生活が続き、夜に一人で泣いているときもありました。
本当は学校生活を送らせてあげたかったです。でも叶わなくて悲しかったですし、辛かったと思います。
私は、もう生きづらさの限界で涙が止まらなくなりました。
このままでは家族が共倒れになってしまう‥
だから、家族のためにお互いに距離を取ることにしました。
それから、半年が過ぎた頃になると夫は毎日仕事に行けるようになったのです。
私が子どもだった頃
私は、HSP(empath)の気質を持っているため、今まで周囲の人と関係を上手く築くことができませんでした。
他の人の感情を自分のもののように感じとってしまい、
職場や家庭などで誰かの気分が落ち込んでいたり、怒っているのを感じると「私が何か悪いことでもしたのかな?」
と不安になり相手の影響を受けることが多かったからです。
しかし、子どもの頃は今のように影響を受けることは少なかったと思います。
父親はとても厳しい人でした。
私は、いつも父親に怒られてばかりで育ち、成績が良くないと勉強しろ!動作が遅いと早くしろ!と言われていました。
そんな感じでしたので、いつも父親の顔色を伺うようになり、
「今は怒っているから後からにしよう」
「怒られる前にやってしまおう」
と。
どうしたら怒られないようになるのか?
どうしたら喜んでくれるのか?
と先を読んで考えていました。
私は、子どもの頃はHSP(empath)の気質を持っているとはわかりませんでした。
だから、おとなしい方でしたが他の人とも普通に関係を築けていたので何の影響もなく過ごせていました。
しかし、結婚をしてからはそうはいきませんでした。
次回は、「家族関係の始まり」をお伝えしていきます。
焦っていたから行動を起こしたv
子どもは焦っていたから行動を起こしました。
しかし、子どもの体調は安定していませんでした。
焦りから早く動かないと、
「来年には大学受験をして家を出る!」
と、理解してもらえない親への気持ちから行動を起こしたのです。
なので、すぐに体調を崩して寝込んでしまいました。
子どもは、
「どうして上手くいかないの?」
「どうして分かってくれないの?」
と私に訴えかけてきたのです。
そこで、これを機会に私は考え方を改めました。
よく考えると、
「普通ってなんだろう?」
「当たり前ってなんだろう?」
と、世の中の人は普通に学校に通って、大学を出て就職をすることが当たり前だということに疑問を感じるようになったのです。
私の子どもは他の人と違った人生でも良いのではと。
急がず、ゆっくり進んでも良いと思えるようになれたのです。
それから、子どもがどんな人生を歩んでいけるのかとても楽しみに感じられるようになりました。
本当に子どもが行動を起こしてくれて良かったです。
もし、子どもの気持ちに気づくことができなかったらと思うと恐ろしいです。
私の考え方が変わってから子どもは焦らなくなりました。
今では、安心して自分の事に取り組んでいますし、色々なことに挑戦しています。
子ども一人で引きこもりを乗り越えることは、とても大変です。
周りの人の力を借りて、ゆっくりと進んだ方が失敗を防ぎ上手くいく方法だと思いました。
今では、言葉に張りが出るようになり力強くなった感じがします。
また、その時の気持ちを子ども自身が、
「今日はこんなことをしていい気分だ」
「いいピアノを引けた時は楽しい!」
「~なことができないと僕はこんな沈んだ気分になるんだ‥」
と自分の心の動きを感じて言葉で表していました。
また、家族の人生に生きづらさを感じて思い詰めていた私ですが、今は何が起きても落ち着いて対応出来るようになりました。
「周りの人と同じように進まないと、もうだめ!」
と、焦らなくても大丈夫なのです。
その理由は、前回「ゆっくり進んだ方が良い」でお伝えした通り子どもは、
・大学生になり一人暮らしをしている
・本当にやりたいことを見つけて実行している
・バイクの免許を取得した
・将来は何をしたいか目的が決まっている
と、実際に子ども自身が、自分で考え、決めて、行動を起こすことができるようになっているからです。
子どもは、焦ることをやめて、ゆっくりと進んでからの方が一つ一つ出来ることが増えて順調に前に進むことができています。
感謝
ホームページを開催して2ヶ月になります。2022年はありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
このままの状態の自分に焦っていた
子どもは、コミュニケーションが苦手、こだわりが強いという生まれ持った特性を持っています。
なので、学校での友達関係を築くことが難しかったです。
自分一人で作業をしたり授業を受ける時はよいのですが、他の人と行動する時は相手の人のことを自分のことのように考えたり想像することが苦手なのです。
子どもは大丈夫と思っていても、相手の人は違っていたりと、そんなことが何度も続いていくうちに次第に友達との会話に入ることができなくなっていました。
「僕が話しをすると他の人に話しかけるんだ」
「僕の話は面白くないんだね」
と、元気をなくしていました。
また、家庭の中が複雑で落ち着いてリラックスできる環境ではなかったので、夜も眠れなくなり学校に行けなくなったのです。
私は、普通の家庭だったら学校に通えていたのではないか?と考えてしまい家庭環境が悪かったからと罪悪感を感じていました。
周りの家族が羨ましかったです。
私たち家族はひどい状態で、
・夫はうつ病でコミュニケーションが苦手、家族代々の負の連鎖を受け継いでいる
・子どもは不登校で引きこもり
・私は夜も眠れず気分は落ち込んだ状態
と依存、衝突が絶えませんでした。
だから、子どもは部屋から出てこなくなりゲームをしたり寝てばかりの生活を送っていたのです。
このような生活が続いていましたが、いつかは周りの人と同じく将来は自立していけるだろうと思っていました。
そんな私の気持ちを察してか子どもは早くしなければと焦るようになったのです。気性は荒くなり、ドアを足で蹴って開けるようになりました。
子どもは不安で心が押しつぶされそうだったのだと思います。
私は、どうして上手くいかないのだろう?
どうしてこんなに辛い人生なのだろう?
と朝起きるころになると頭に浮かんできて起きられなくなっていました。
そこで私は「このままでは何も変わらない、私が変わろう」と気持ちを変えました。
ですが、ではどうやったら変われるのだろうと思って探していたところメンタルケアラボにたどり着いたのです。
その時子どもは、
「みんなと高校、大学進学を同じくスタートを切らなければ、もうダメだ!」
「人生終わりだ!」
「早く何とかしないと!」
と、このままの状態の自分に焦っていました。
だから、上手くいかないことへの苛立ちが強くなって言葉遣いも荒くなり、ドアを開ける時にもバタンと強く音を立てるようになったのです。
自分ではどうしたらよいのか分からず親に対しても諦めの感情が出ていました。
もしも、この記事を読んでいるあなたのお子さんが焦っていると、とても不安に感じているのなら急ぐ必要はないですし無理をすることもないと思います。
そして、子どもは焦っていたけれど、ゆっくり進んだ方が良いと分かったからこそ元気になれたとお伝えしたいです。
何でも、みんなと同じくすれば上手くいく、そんなことはありません。
周りの人と同じように中学校、高校にも通わず違う道を歩むということは、とても勇気のいることです。
しかし、私の子どものように不登校になり友達がいなくて家に引きこもりゲームばかりしていても、自分のやりたいことを見つけて友達もできて外で活動ができるようになれるのです。
次回は、「焦っていたから行動を起こした」をお伝えします。